奈良時代の書物に「蔗糖」の文字
砂糖が日本に伝来したのは、奈良時代といわれています。仏教思想の文化が広まり、唐招提寺や東大寺が建築され、古事記や万葉集などの書物が生まれた時代といえば、イメージが湧きやすいでしょうか。
砂糖伝来の記録は、754年、唐の僧鑑真が日本に渡る際の舶来品の目録に「石蜜、蔗糖、蜂蜜、甘蔗」と記されているのが最初です。
「石蜜」は今でいう氷砂糖か飴のようなもので、「蔗糖」は砂糖、「甘蔗」はサトウキビを示しているようです。ただし、当時の鑑真の航海は失敗に終わり、日本から唐へ渡った遣唐使がお土産に蔗糖を持ち帰ったのが最初という説もあります。
「薬」として使われていた砂糖
次に砂糖にまつわる記録が見られるのは、奈良の正倉院に納められた「種々薬帖」(しゅじゅやくちょう)という目録です。
東大寺の大仏の建立を命じた聖武天皇が756年に亡くなり、それを受けて光明皇后が天皇ご愛用の品々とともに東大寺の大仏に薬を献上したのですが、その献上品を一覧にまとめたのがこの薬帖です。ここに「蔗糖二斤一二両三分并椀」と記述があり、当時砂糖が薬として扱われていたことがうかがえます。
ちなみに、種々薬帖に記載されている薬のうち数十種は現存し、貴重な資料として保管されています。
残念ながら砂糖は残っていませんが、薬帖の巻末には、病に苦しむ人のために必要に応じて薬が使われるよう願う文章が綴られていますので、その砂糖もそのように役立てられたのでしょう。
砂糖は貴重品
「種々薬帖」以降、平安時代の中頃から始まった日宋貿易の輸入品目の中でも、砂糖は薬品に含まれていました。
次第に上流階級の人々の間で調味料として使われるようになったようですが、流通量がとても少なく、高価な貴重品として扱われていたため、庶民が手に入れることは難しかったようです。
鎌倉時代の終わり頃から貿易が活発化すると、砂糖の輸入量が増加します。そして室町時代、茶の湯の文化が花開くとともに、砂糖を使った菓子が作られるようになりました。
いったいどんな菓子が作られていたのか、その詳細は、次回に続きます。
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