表面にツノの突起がある小さな粒の、砂糖でできた和菓子です。
色とりどりに鮮やかで、目でも楽しめるものが多いです。
核となる砂糖結晶、又は「イラ粉 ※」を加熱した鍋に入れ、攪拌しながら少しずつ砂糖液を入れることで、核の周りに砂糖結晶を徐々につけて作られます。伝統的な製法では2週間近くかけて作られるものもあります。
※ イラ粉:蒸したもち米を乾燥させ細かく砕き、さらに煎ったもの。
鍋で攪拌しているだけで突起ができてくる理由は、じつはよく分かっていません。
雪だるまの雪玉が転がすことで大きくなるように、普通に考えるとまんまるの球形で大きくなりそうですが、金平糖では突起が生えながら全体が大きくなります。
その一つの理由として考えられているのは、成長の元となる砂糖液が振りかけられる鍋の中で、核となる砂糖結晶が攪拌されるうちに、最初に少しだけ成長した突起部分が鍋底の熱い部分とより多く接するため、その部分でさらに砂糖液が結晶していき、そのすぐそばは少しへこんでいるため鍋底と接せずに結晶が育ちにくく、その隣がまた突起として成長してくる、というものです。
最初についたほんのわずかな差が最終的に大きな差となってツノの突起ができるのです。
金平糖といえば、室町時代の1559年に織田信長がポルトガルの宣教師ルイス・フロストから献上品として受け取ったのが日本における金平糖の最初として有名です。
その時のものは、現代の日本の金平糖よりツノが小さく、白色の素朴な砂糖菓子だったようです。
その後、江戸時代に砂糖が多く出回るようになると、さまざまな和菓子が作られ、改良されるのですが、金平糖も改良されて人気になりました。
当時すでに色とりどりの金平糖があったことが『古今名物御前菓子秘伝抄(1718年)』に記載されています。
ツノもその頃から綺麗に出せるようになったと考えられていて、美しい和菓子となった金平糖は、贈り物としても使われていました。
また、明治時代以降、皇室ではボンボニエールといわれる銀や陶器製の小箱に5色の金平糖を入れ、祝い事など式典の場で配られています。
令和の「即位礼正殿の儀」でも配られたとニュースになっていましたね。
今回は「金平糖」をご紹介しました。
金平糖も身近なところで手に入るものから、職人が手作業でじっくり作った高級品までさまざまありますが、今度ぜひ、500年近く前に日本で初めて金平糖を食べたときの織田信長の衝撃に想いをはせて、ゆっくり召し上がってみてはいかがでしょうか。
【参考文献・資料】
・『和菓子の歴史』青木直美 著(ちくま学芸文庫)
・『辞典 和菓子の世界』中山圭子著(岩波書店)
・『金平糖の不思議』((独)農畜産振興機構HP)
・『金平糖とボンボニエール』((独)農畜産振興機構HP)
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