小麦粉や米粉の生地で餡を包み、蒸してつくる和菓子の「お饅頭」。前編で生地の作り方と材料の違いから「酒饅頭」と「薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)」の2種類をご紹介しました。今回はそれらの歴史をご紹介します。
「酒饅頭」は、小麦粉の生地を酒種(酵母菌)で膨らませ、あずき餡などを包んで蒸して作られます。
「薯蕷饅頭」は、うるち米を細かい粉にした薯蕷粉にすりつぶした山芋などを混ぜた生地で、同じくあずき餡などを包み蒸して作られます。
※作り方の詳しくは以前のコラム「お饅頭(前編)」をみて下さいね。
饅頭は700年ほど前に現在の中国より禅僧の往来とともに日本にやってきました。お菓子ではなく点心、つまり間食のための軽食として入ってきたようですが、最初といわれている説が2つあります。
古い方からご紹介すると、「酒饅頭」のタイプで、宋で禅の修行をした後、1241年に帰国した僧「円爾」が饅頭の製法を国内に伝えました。
「円爾」は帰国後、九州の崇福寺、萬寿寺、承天寺、そして京都の東福寺を開くなど当時の仏教界で非常に高名な僧侶で、1311年に天皇から日本の僧侶として最高の栄誉である「国師」の号が初めて与えられ「聖一国師」と呼ばれる程の方でした。
また「円爾」は、日本へ「カン・マン・メン(羊羹・饅頭・麺)」をもたらした人とも言われています。
水車を利用した製粉機械によってソバの実をそば粉にするなど、効率的に製粉する方法を伝えることもしました。
他にも宋より持ち帰ったお茶の種子を出身地の静岡に植えて増やし、それが現在の静岡茶となるなど、宗教のみならず日本の食文化の発展にも非常な貢献をされた方です。
そのような活動の中に饅頭のはじまりもあったのでした。
もう一つのはじまりの説は、それから100年ほど後ですが、元から1350年に来日して帰化した「林浄因」が奈良で饅頭を販売したというものです。
最初は山芋を使ってはいなかったようですが、のちに子孫が改良して、山芋を使用した「薯蕷饅頭」になりました。
こちらは最初から甘いあずき餡が入った甘い饅頭だったようです。
ただし、砂糖はまだ非常に貴重だったため、「枕草子」にも登場する、ツタの樹液を煮詰めてつくる伝統的な甘味料の「甘葛煎(あまづらせん)」が使われていたと考えられています。
ちなみに、国語辞典「広辞苑」では「林浄因」の饅頭を最初の饅頭と紹介しています。
日本の書物で初めて砂糖を使った饅頭について触れられているのは室町時代初期、1367年の成立とされる『新札往来』で、ここに「砂糖饅頭」という記述があります。
またその後、1450年頃に出た『七十一番職人歌合』という書物には、僧の身なりをした男が蒸籠に入れた饅頭を売る絵とともに「砂糖饅頭、菜饅頭、いづれもよく蒸して候」と記されています。
これらの書物により室町時代中期では、少なくとも砂糖が使われた饅頭と菜(野菜)を使った2種類の饅頭が食べられていたことがうかがえます。
「円爾(えんに)」の酒饅頭は、最初、餡がなかったという説もありますが、餡を生地で包んだ饅頭が広まると、手軽なファーストフードとして人気になったと思われます。
そして、江戸時代に砂糖の普及とともに饅頭は和菓子としてさまざまな改良が加えられました。
白砂糖を使った上菓子といわれる非常に高級なものから、比較的安価な黒砂糖を使った庶民的なものまで、さまざまな饅頭が売り出され、多くの人に食べられ、代表的な和菓子となっていきました。
今回は「饅頭」の後編として、饅頭の歴史をご紹介しました。今度ぜひ、さまざまな饅頭をそれぞれの違いを感じながら召し上がってみてはいかがでしょうか。
【参考文献・資料】
・『和菓子の歴史』青木直美 著(ちくま学芸文庫)
・『辞典 和菓子の世界』中山圭子著(岩波書店)
・『聖一国師とは』(静岡鉄道HP)
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