こどもの日によく食べられる柏餅。白い生地に緑の葉が巻かれ、5月の新緑の季節を感じる和菓子です。今回は5月5日がこどもの日になった歴史とともに柏餅をご紹介します。
うるち米を粉にした「新粉」から作られる生地で、あずき餡や味噌餡を包んで蒸し、外側に柏の葉を巻いた和菓子です。
はっきりした記録はありませんが、江戸時代に端午の節句が武家や一般庶民に広まるとともに柏餅もつくられ、食べられるようになったと考えられています。
「端午の節句」自体は奈良時代に中国より伝わり、平安時代には宮中で厄除けのための行事として確立していました。
その頃の端午の節句は薬草を摘みに行ったり、邪気を払うものと考えられた「菖蒲」を髪に飾り、宮中でお祝いをするものでした。
ここから端午の節句が菖蒲の節句と呼ばれるようになります。
この菖蒲の節句が江戸時代になって変化しました。
「菖蒲」の読みが武道・武勇を重んじる「尚武」と同じため菖蒲の節句(端午の節句)が武家でも行われるようになります。
もともとは厄除けの行事でしたが、幟(のぼり)や兜(かぶと)を飾り、「尚武」の意味から男子の勇ましい成長を願った行事に変化して広まっていったのでした。
その変化の中で餡入りの白い生地を柏の葉で包んだ柏餅も広まります。
柏の葉は新芽が出るまで古い葉が落ちないため子孫繁栄を象徴していると考えられていました。
また古代では、神様へのお供え物を盛るための器として使われ、神聖な植物とされていたため、柏の葉が巻かれるようになったようです。
旧暦の5月5日は現在の6月で、柏が新しい葉を揃える時期だったことも使われた理由だと思われます。
江戸時代の江戸は、武士の町として始まり、商業の発展によって商人の町としても発展しました。
裕福な商家も多く、子孫繁栄を願う気持ちは武家と変わらず、端午の節句の行事が一般庶民の間でも行われるようになっていきます。
一般庶民では幟(のぼり)や兜を飾ることはできないため、「登竜門(とうりゅうもん)」の故事から、「急流を上る鯉は龍になる」といわれる鯉にあやかり、男子の立身出世を願って「鯉のぼり」を立てるようになりました。
ちょうど江戸時代に砂糖が庶民にも手が届くようになったこともあり、柏餅も一般庶民の家でも作られるようになります。
5月5日の端午の節句は、「鯉のぼり」と「柏餅」がセットになって男子の成長を願う日として広まっていったのでした。
昭和23年の「国民の祝日に関する法律」によって5月5日が「こどもの日」になりました。
この法律での5月5日「こどもの日」は「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日としての祝日となっています。
この法律の制定時に、子供に関する風習としては3月3日の「ひな祭り」と、5月5日の「端午の節句」があるため、合わせて5月3日を「こどもの日」とする案もあったほどです。
結局、5月3日は「憲法記念日」となったため、5月5日がこどもの日になった、という経緯もありました。
今回は「柏餅」をご紹介しました。
今度ぜひ、白と緑のシンプルさの中に武士をイメージするかのような端正な美しさをもつ「柏餅」を、新緑の季節に召し上がってみてはいかがでしょうか。
【参考文献・資料】
・『江戸はスゴイ』堀口茉純 著(PHP新書)
・『和菓子の歴史』青木直美 著(ちくま学芸文庫)
・『辞典 和菓子の世界』中山圭子著、(岩波書店)
・「各「国民の祝日」について」(内閣府HP)
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