かつて砂糖は世界中で限られた人しか口にすることができない贅沢品でした。
そのため、砂糖や砂糖菓子は国と国や人と人をつなぐ貴重な贈り物として活躍してきました。
日本にやってきた砂糖菓子
戦国時代に織田信長が宣教師ルイス・フロイスから、のちに金平糖の元となるコンフェイトという丸い砂糖菓子を受け取ったというエピソードをご存知でしょうか。
砂糖菓子が信長への献上品として選ばれ、信長も大変喜んだという事から、その時代に砂糖がどれほど貴重なものであったかが見て取れます。
他にも、この時代にカステラの元となったパン・デ・ローや、有平糖の原型であるアルフェロアという棒状のキャンディーなどの南蛮菓子が入ってきます。
海外からやってきたさまざまな甘い贈り物に夢中になった人々は、その後それらの砂糖菓子を日本人が好む味わいや彩りに何年もかけて進化させ、和菓子を生み出しました。
旅の思い出と砂糖菓子
長い間砂糖は輸入に頼り切りだったため、身分の高い人の間でしか食されていませんでした。
江戸時代後期になり自国での生産が始まったことで少しずつ一般の人も口にすることが出来るようになります。
この時期にお伊勢参りや金比羅参りが流行すると、お土産品として非常に喜ばれたものが、当時まだ希少品であった砂糖を使ったショウガ糖や干菓子などの砂糖菓子でした。
その後、焼き印や絵を入れたお饅頭が各地の名所や観光地のお土産品として人気を集め、現代まで続く定番のお土産となっていきます。
砂糖菓子は日本から海外へ
明治時代になると皇室では5色の金平糖を、銀や陶器製の小箱に入れ、祝い事の式典など外国との社交の場で配るようになります。
これは、ヨーロッパにある子供の誕生や結婚式などの際に、ボンボニエールと呼ばれるガラスや陶器の小箱に砂糖菓子を入れて贈る文化に倣ったものでした。
日本製のボンボニエールに銀素材が選ばれたのは、廃刀令により仕事を失ってしまった高度な鍛冶技術を持つ職人を救済し、日本の工芸品を海外にアピールしたいという目的もありました。
その狙い通り、細工の精巧さと美しさは海外で高く評価され、和製ボンボニエールは現代に至るまで日本が海外に誇る工芸品の一つとなっています。
海外からやってきたコンフェイトなどの南蛮菓子が日本の砂糖菓子文化を開花させ、砂糖菓子のお土産が人と人を結び、やがて金平糖を入れた小箱が日本と外国を結んだ歴史を見てきました。
そんな歴史に少しだけ思いを馳せて、皆さんも甘いプレゼントを大切な人に贈ってみてはいかがでしょうか。
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